鈴鹿の東海道 庄野宿
| 前川定五郎碑(1832〜917年)・当時この辺りには橋がなく人々は鈴鹿川を歩いて渡っていたが大雨が降れば急流となり危険だったり渡れない日が続き苦労していた人々のために私財を投じて渡し船を無償で始めたり、橋を架けるのに尽力をつくすなど一生を川渡しのためにささげた方である。現在は立派な橋に変わっているが定五郎さんの功績を讃え「定五郎橋」と名付けられている |
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| 石薬師一里塚跡から庄野宿までこれといった史跡もないので国道1号線から往復3kmほどの加佐登神社に足を延ばす。この神社は日本武尊が死ぬ間際に持っていた笠と杖とを御神体として祭ったのが始まりです。白鳥塚古墳・三重県では最大の円墳です。日本武尊の墓とも伝えられここから白鳥の姿となって大和の方へ飛び去ったという伝説から白鳥塚と呼ばれています。それにしても旧街道を歩くと伝説の武人ヤマトタケルの名をよく目にします |
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| 定五郎橋から国道にでて歩くこと1kmほどで右に曲がると庄野宿の入り口、石柱が立っています。庄野宿は1624年東海道四十五番目の宿として設置されました。他の宿駅より設置されたのが遅かったことや南北に約900mほどと宿場としては規模も小さくさほどの賑わいもなかったようです |
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| こちらを訪れたのが7月とあって天気に恵まれたのはいいがカンカン照りで猛暑の街道ウォークになりました。静かな町並みと幸い車の往来に邪魔されることなく、連格子の古い民家が残る旧街道をのんびり歩を進めると善照寺の山門が迎えてくれます |
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| 庄野宿資料館・旧小林家(市指定文化財)の一部を創建当時の姿に復元して庄野宿に関する資料や地域に残る民具、農具、日用品などを展示しています。 無料ですし入館して遠い昔に想いを馳せるのもいいですよ。不許葷酒入山門(くんしゅ)・妙法禅寺山門に立っています。これは臭の強い(ニラ、ニンニク、ネギ)食べ物や酒を寺の中に持ち込んでは禅宗の修行に差し障りがあるから駄目ですよという意味だそうです。妙法禅寺は伊勢国鈴鹿郡八十八ヶ寺の八十三番目のお寺です |
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| 宿場のほぼ中央に庄野集会所がありその近くに問屋場跡、本陣跡、高札場跡、脇本陣跡の説明板や石柱が立っています。高札についは庄野宿資料館に展示保存してあります。川俣神社のスダジイ・ブナ科シイノキ属の常緑広葉樹(県指定天然記念物)地上の幹周り5m、樹高11m、樹齢は推定300年とかなりの老木ですが伸びた枝に葉が茂ったサマは迫力満点全国でも有数の巨樹で必見の価値があります |
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| 庄野宿の入り口と出口に建っている旧庄野小学校の門柱だった石標から少し歩くと国道に出る。過ぎた時代を分断するかのような車の騒音と排気ガスにうんざりしながら国道一号線を横切って汲川原町の旧街道を歩きます。平野道石柱・この道標も道行く人に遠慮しながら端っこに立っています。イボとり地蔵・昔よりイボと眼病に効くと伝えられ地域の信仰も厚く今も遠くからお参りに来られるそうです。近所の方が親切に案内してくれました。綺麗に管理されたお地蔵さんです |
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| 真福寺・浄土真宗西本願寺派のお寺、細い路地を東に入ったところに建っています。山の神・山を治め山仕事をする者を守護する神さま。街道を歩くとよくみかける「山之神」の文字を刻んだ石をもって祀つってある。古来より人々は家の用材、薪、山菜の恵みを受け山に神が宿るとして信仰されいつの頃からか山村だけでなく春には農村にも「山の神」が降りてくると信仰されるようになりました |
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| 傍示石・江戸時代に藩などが領地の境界を示すのに立てた石柱で「従是東神戸領」と書いてあります。女人堤防の碑・度重なる水害に苦しむ汲川原村では堤防を造ることを藩主に訴えるが許されず村人達は打ち首覚悟で禁を犯し密かに堤防の着工を決め女性が中心なって6年がかりで堤防を完成させたそうです。この堤防の反対側に伊勢国鈴鹿郡八十八ヶ寺の82番薬王院跡があります |
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